親子三代天皇賞制覇を達成したメジロマックイーン

春天予想を的中させよう

メジロマックイーンは1990年代の前半の競馬ファンを魅了した競走馬で、菊花賞や天皇賞春など、主に長距離のG1レースで活躍した名馬です。
メジロマックイーンのデビューは遅く、同じ年代の馬たちがクラシック戦線を目指している2月に新馬戦に出走しました。
このレースは阪神競馬場の1700メートルダート戦で、村本騎手の手綱の元、あっさりとデビュー戦を飾りました。
その後、春シーズンは2月と5月に500万条件の芝のレースに出走しましたが勝ち切れず、9月の函館のダート戦まで休養に入りました。
しかし9月の復帰2戦目のダート戦を勝つと、ここからメジロマックイーンは軌道に乗り、9月の函館の2000メートル芝の大沼ステークスを勝つと、10月の京都の嵐山ステークスでも2着に好走しました。
この嵐山ステークスは菊花賞と同じ3000メートルであったため、ここでの好走が評価をあげることにもなりました。
そして翌11月の菊花賞に何とか間に合っただけでなく、4番人気ながらこのレースを勝ってしまったのです。
この時の鞍上は内田浩一騎手でした。
この勝利で古馬のG1でも十分に戦える手ごたえを掴んだ陣営は、翌年の飛躍に大きな期待を持ちました。
そして古馬になった翌年は3月の阪神大賞典から始動し、単勝オッズ1.2倍の支持を受けてこのレースを解消しました。
そして迎えた次走の天皇賞春でも、天才武豊騎手を背に堂々と1着でゴールを駆け抜けました。
このレースの勝利により、親子三代での天皇賞制覇達成という偉業を成し遂げたのです。
次走の宝塚記念は2着、そして秋の天皇賞では進路妨害による降着と勝てないレースが続きましたが、ジャパンカップ4着、有馬記念2着と堅実な走りを見せていました。
翌1992年は天皇賞春を連覇しましたが、このレースで故障を発症し、年内は休養にあてられました。
そして1993年は天皇賞春3連覇は逃しましたが、2年前にメジロライアンに敗れた宝塚記念を快勝しました。
秋の活躍も期待され、秋初戦の京都大賞典では、2分22秒7という当時のコースレコードでレガシーワールドを下して1着になりましたが、天皇賞秋を目指していた4日前に左前脚部繋靱帯炎を発症、そのまま引退しました。
引退式は約1か月後の11月21日に京都競馬場で行われました。
1993年10月の京都大賞典の勝利で、獲得賞金が史上初の10億円を超えたことも多いに話題になったものです。